Diary of a Madman
たーげぶっふ

2001年7月前半

英会話レッスンが自分にとってのセラピー(2001/7/12)
★7月7日(土曜日)★
七夕の日。
自分は働いていたので、特にイベントはなし。英会話もなし。 夜空の星を見上げるヒマも体力もなく、 短冊に願い事を書こうなんて思いもつかなかった。 仕事を終えてうちに帰ったあとは、晩ごはんと一緒にドイツワインを飲んで、食後は布団に直行。 疲れていたので、とにかく一刻も早く眠りたかった。
ところが、近所のアパートの屋上で宴会が繰り広げられていてとてもうるさかった。 奴らは酔っ払っているうえに古今東西ゲームとかで大いに盛り上がっていた。 お酒が入ると声がでかくなる人ってけっこういるよね。 笑い声やら歓声が近所中に長いことコダマして超迷惑。 こっちは疲れて早く寝たかったのに!

★7月8日(日曜日)★
午前中は久しぶりに待望の英会話2レッスン(ブレイク→ソーントン)。 なんせ2週間ぶりなんで、レッスンに挑む前は英語がとっさに出てくるかちょっと不安であった。 しかし、終わってみればまったく心配する必要はなかった。
ブレイクのレッスンではふだんとは別の教材を使って、 カジュアルなイデオムをいくつか学んだ。
"throw in the towel"
"a wet blanket"
"on pins and needles"
"have a screw loose"
"buried the hatchet"
"a flash in the pan"
これらのイデオムを実際に言うことはなくても、 誰かが言ったり、どこかに書いてあったときに理解できることが重要だと彼は話していた。 もっともなことである。これらの表現を使ってセンテンスを作る練習もした。 今回のような講師が工夫を凝らしたレッスンに当たると、かなり得した気分になれる。
ソーントンのレッスンでは、 国だか地方自治体が何かを建設しようとしている用地に一軒だけ立ち退かない家屋があって、 そこに住んでいる老婦人にテレビ局がインタビューするというネタのユニットだった。
"I hope to〜"
"I refuse to〜"
"I fight to〜"
といった不定詞の表現を学ぶ。
今回のネタの似たような事例として成田空港建設のときの地元住民立ち退き問題があるということで、 これをテーマにディスカッションも行われた。 飛行機関係のお話は自分がもっとも得意とするところ。 なので自分の独壇場になってしまい、わしひとりでほとんどしゃべってしまった。 他の生徒サンには申し訳なかったカモ(汗)。
今日は両レッスンともロール・プレイングをまったくやらされることなく終了。 ロールプレイングなしでも、ちゃんとしたレッスンとして成立するんです。 やろうと思えばできるんですよ。 自分が望んでいるスタイルのレッスンを満喫できたので、 充実した気分で家路につくことができた。
ところで、英会話レッスンは自分にとってセラピーの役目を果たしているように思う。 レッスンが終わったあとの爽快感は何ものにもかえがたい。 たとえレッスンがうまくいかないときがあっても、そのときの悔しさが次回へのモチベーションにつながってるし。 今の仕事で他人に負けてもなんとも思わないけど、英語でだれかに負けるのはものすごく悔しい(汗)。 ふだん英語をしゃべりたくても、まったく機会がないので、そのストレスたるや酷いものがある。 週末のレッスンでこれを一気に吐き出すのだ。
レッスンは「自分のやりたいこと=英語」という自分の意志を確認できる場でもある。 英会話は自分が自分であることを取り戻すための重要な手段なのだ。 もし、週末の英会話の機会すら奪われるようなことになったら、たちまち自分の居場所を失ってしまうことになる。 この事態だけは何としてでも避けなくてはならない。 しかし、この自分の自由を奪おうとする魔の手は目の前まで伸びてきている。 たびたび自分を襲ってくる自殺願望をかろうじて抑止しているものは、 「死への恐怖」とこの「英語」だけなのだから。 「英語」を使うことによって派生するいろいろな夢や希望が、がんばって生きていこうという気持ちを生み今の自分を支えている。 自分にとって唯一の希望の光といっていい。 これだけはなんとしてでも死守しなくてはならない。 「自殺願望」と「死への恐怖」は相反する概念だと思うけど、 両方が常に自分の心の中に同居している。この状態はほんとにつらいよ。
閑話休題
ほんとうならばこの週末にある女性とデートする予定だった。 ところが、うまく連絡がつかずに計画は流産。 来週こそはしっかりコンタクトをとって実現させたいところである! もし実現すれば、自分が以前から思い描いていた夢がひとつ叶うことになる。 彼女が自分の将来への展望へのヒントを与えてくれるかもしれない。

うつ病を克服するには(2001/7/11)
去年の春頃から悩まされつづけているうつ病を克服するには、 自分の環境を変えるしかない。 そもそもの元凶は今の仕事とその劣悪な環境にガンジガラメにされていることなんだから、こいつらとオサラバしないことには根本的な解決にはならない。 たとえ、夏休みとって一時的に回復しても、 職場に復帰したら、また病気がぶり返すに決まっている。
人間が生きていくためには、1日のほとんどの時間を仕事に費やさなくてはならないのだとしたら、少しでも充実した時間を過ごせるようにしたい。 一度しかない人生なのだから。
自分のやりたいことをやっているのなら、 多少の苦労があってもたいして苦には思わないはず。 やりたくないこと、もっとハッキリいえば大嫌いなことでプレッシャーをかけられているから毎日がつらいのだ。 俺は何でこんなことやってるんだろ?と思いながらやってたって面白いわけがない。
3度の飯を忘れてしまうほど没頭できるものを見つけたい。 自分のやりたいことは、自分が動かないと見つからない。 「自分の英語力を活かせるようなことがしたい」というテーマはすでに見つかっているんだから、 あとは、英語で何をするか?だ。 これに明白な答えが出せさえすれば、精神的にずいぶんと楽になるような気がする。
自分の環境を変えるにあたって、
自分ににとってふさわしい環境とは何か?
これさえわかればしめたもの。 あとは新しい環境を得るために、自分で考えて行動するのみ。 自分にはせっかく英語があるんだから、日本に限定しないで考えようっと。
1日も早くうつ病とサヨナラしたい!
人間、ほんとうに嫌なことはできないものなんだよ(2001/7/5)
まだまだ慢性的なうつ状態が続いている。 やはり自分の環境を変えないことには治りそうにない。 毎日、悶々としながら過ごしているのがつらい。 生きているのがほんとに面白くない。 長く真っ暗なトンネルに閉じ込められているような閉塞感は相変わらず自分を苦しめている。 以前の日記にも書いた自分に付きまとっているこのトンネルについてもうちょっと深く考えてみた。
自分に閉塞感をもたらしている長い「トンネル」は、今の仕事を続けていくことの象徴。 トンネルの中は真っ暗でジメジメと湿っぽく息苦しい。 このたとえは自分の職場の環境をびっくりするくらい的確に表現していると思う。 自分はこのトンネルの中をフラフラになりながら道なりに歩いている。
このトンネルに用意されている「出口」は、今の仕事を続けて「偉くなること」を意味している。 長くつらい道のりを経て、いったん出口にたどり着いたとしても、また次の新しいトンネルが目の前に用意されている。 休むまもなく、再び次の新しいトンネルを歩いて「偉くなるため」に出口を目指さすことを強いられる。 トンネルが変わるたびに閉塞感はしだいに酷くなっていく。 そして、自分は身動きできないほどガンジガラメにされていく。 これの繰り返しである。 最終的な出口については考えたくもない。
「今の仕事で偉くなる」という出口に対して、自分はまったく魅力を感じることができない。 そこには夢も希望もないから。 もし、この出口を通過することしか許されないのであれば、ぼくは自殺するしかない。 自分にとって生き甲斐というか夢や希望をもたらす別の出口が必ずどこかにあるはず。 そう信じてないと人間をやってられない。生きていられない。 今の自分は、自分のための出口を必死になって捜し求めている状態なのだ。
仮に、今の仕事で偉くなった自分を想像してみると、絶望的に暗い気分になる。 確かに、偉くなれば給料はよくなるだろう。 いちおう世間体も保てますな。 得られることは、たったそれだけですね。 これらと引き換えに、 どれだけ自分を犠牲にしなくてはならないかを考えるとゾッとする。 どう逆立ちしてもできない。やりたくない。
なぜなら、まず自分の英語力を永遠に封印することになる。 今の仕事で英語を使う機会は皆無! うわ〜、もったいねえ。 これだけは本当に許せない。絶対に譲れないところだ。 目の前の金欲しさに自分の才能を世の中に役立てることができないなんて本末転倒だ。
まとまった休みも取れなくなるから、海外へ行くことも諦めなくてはならない。 一生懸命鍛えてきた英語を現地で試す機会も与えられないわけ?
休日にも出なくちゃならない機会も増えるから航空祭へも行けないし、英会話学校へ行ける機会も減る。 自分から英語と飛行機の楽しみを奪われたら何も残らないよ。
これからは、いったい何を楽しみに生きればいいの? これらの楽しみを奪われてまで、続ける価値はあんの? お金のために自分のアイデンティティを捨て、魂を悪魔に売り渡さなくちゃいけないわけ? おれは給料の奴隷か?
今の仕事に対して喜びを見出せばよいのではないかという意見もあるだろう。 でもね。それは無理ってもんだよ。自分のやりたいことじゃないから。 たしかに、小さな喜びを見出すことはできるかもしれない。 でも、自分に対して素直になって向かい合ったとき、
そんな小さなことに満足してていいの?
俺の人生はそんなもんでいいの?
っていう疑問がたちまち湧いてくるに決まってる。 やっぱり、自分にはウソをつけないよ。 このまま流されていったら、 自分が死ぬ間際に人生を振り返ったとき絶対後悔する羽目になるだろう。 「ああ、あのとき思い切ればよかった」って。 もう若くないし、動くんだったら今しかない。
人間、ほんとうに嫌なことはできないものなんだよ。

仕事と家庭を両立させている主婦はエライ!(2001/7/2)
★ 土日とも仕事。 本来であれば、横田基地のフレンドシップ・デイへ生まれて初めて行く予定だった。 横田基地の中には一度も入ったことがなかったので、とても楽しみにしていたのに。
仕事のせいでパー!くそー!許せん!
たくさんの飛行機。
タダで英会話。
アメリカンな基地の雰囲気
アメリカンな食べ物とビール
夜の花火大会
全部おあずけである。
土曜日は雨模様だったので諦めもつきやすかったが、 日曜日はピーカンのお祭り日和だった。
いったいオレはここで何やってるんだろう?
ここはどこ?わたしはだれ?状態。
いったいどこまで仕事のために自分を犠牲にしなくてはならないのだろう? 自分が望んでいる方向からどんどん違う方向へ流されていることを痛感した瞬間でもあった。 一刻も早く方向転換しなくては!
横田の基地祭は仕方がないにしても、週末恒例の英会話ができなかったのが痛かった。 仕事がいつ終わるかぜんぜん読めなかったので、英会話の予約を入れられなかったのだ。 おかげでまるまる2週間英語をしゃべる機会がない。 英語しゃべりたい症候群でストレス増大。禁断症状で気が狂いそうである。 TOEICが目の前に控えているのに、このブランクは本当に痛い!

★ 期間限定の一人暮らしを始めて、ちょうど一週間経った。 日曜日の夜にひまな時間ができたので、 ひさしぶりにゆるげんの十八番料理「炎のカレー」を作った。 味・肉のやわらかさ・ルウのなめらかさなど、どれをとっても最高の出来。 今まで作ったなかでも、3本の指に入るくらい上手くいった。 今週はこれで晩ごはんに何たべようか迷わなくて済む。 しかし、こういうときに限って食べるのは自分ひとりのみというのが寂しい。 みんなにこの美味しさをわけてあげたいものだ。

★ 食器洗いや洗濯物が山のようにたまってしまったので、 カレーを作りながら食器を洗った。 食後に一段落してから洗濯にとりかかった。 日曜日の夜といえば、ブルーな気分にになりがちな時間帯。 家事をやっつけることに集中したおかげで、気を紛らわせることができた。