A Story of The Near Future
あやしい小説

ACT2

今の仕事場はうちから自転車で15分、歩いて45分の所にある。 仕事場と言っても1LDKのぼろいアパート。 ぼくは数年前にサラリーマンを辞めて、現在は翻訳の仕事をしている。 最初の1ヶ月は仕事を自分の家でやっていたのだが、この体制ではプライベートと仕事の切り替えが難しかった。 うちで仕事していると悪質な訪問販売に仕事を邪魔されることもしばしばあったし、家事に気を取られるのもよくなかった。 精神衛生上あまりよくなかったし、仕事にも集中しにくかった。 どこかに出かけて仕事をするというパターンの方が自分には合っていて能率的にちがいなかった。 仕事とプライベートをきっちり分けて生活にメリハリつけるために、 そこそこ自分の家から離れている家賃の安いアパートを借りることにした。 いつも仕事場へはたいてい自転車で通っている。 サイクリングによる有酸素運動で運動不足の解消をはかることにしている。 仕事柄、机に長時間向かっている事が多いので運動不足は深刻な問題だった。 自分は太りやすい体質なので、ちょっと油断しているとたちまち膨らんでしまう。
今朝のズームイン朝では全国的に晴れると言っていた。 今日も暑くなりそうだ。 早朝にくみを仕事に送り出した後、朝風呂に入ることにした。 気持ちよくバッチリ目を覚ますには朝風呂が一番。 サラリーマン時代には味わえなかった贅沢。 現在は自由に使える時間を自分勝手に調整できてありがたい。 数年前までのこの時間帯といえば、満員電車に乗って東京まで会社に通っていた。 今はゆったりと湯船。ザマミロなのだ。 午前9時半頃、汗だくになって仕事場に着いた。 陽はまだ登り切らないのに強烈な日差し。 容赦なく気温が上がっていく。 仕事が終わったら冷たいビールを飲むぞ! それまでは我慢してお仕事なのだ。 ウイルソン最新作の翻訳はほぼできあがっていた。 後は読み直して赤を入れるだけ。 訳を書いている最中には気がつかなかったケアレスミスが山ほど見つかった。 これらをひとつひとつチェックしていく。 納得いかない訳やわからないところにぶち当たったときは、アメリカ人の友達に電話して助けを求める。 1冊の本を翻訳するには、どうしても日本人には理解不可能の壁が存在する。 アメリカの古いテレビ番組とか、あちらでしか売っていないグッズ、スラングの類はお手上げ。 こういうときはネイティブ・スピーカーのアドバイスは非常に助かる。 BGMにインターFMをボリューム小さくしてかける。 懐かしい80年代のヒット曲が次々と流れてくる。 好きな音楽にのって仕事は順調にはかどっていった。 半分ほどチェックが終わったところで時計を見たら、いつのまにか12時過ぎになっていた。 あっと言う間にお昼タイム。 さて、今日はどこへ食べに行こうかな? なんとなく中華が食べたい気分。行きつけの蘇州亭にでも行くか。 そこはボクが学生の頃からひいきにしているラーメン屋さん。 10人もお客さんが入ったら満員になってしまうような小さなお店。 しかし、味はバツグン。 お値段はこっちが心配してしまうほどリーズナブル。 今でも、ラーメン300円でがんばっている。 お店のご主人が力士の武蔵丸に似ているので、ずうっとこのお店のことを内輪では「武蔵丸」と呼んでいた。 「蘇州亭」なんて立派な名前がついていたのに気がついたのは、つい最近のこと。 ぼくはとおの昔に30歳をすぎてしまったのに、ご主人はぼくのことを「おにいちゃん」と呼んでくれる。 普段の彼はぶすっとしていてまったく愛想がない。 どちらかというと怖い感じなのだが、一度打ち解けてしまうと気軽に話しかけてくる。 今では、ボクの良き人生相談の話し相手になってしまったようだ。 最近は腰が痛いらしく、歩くのも辛そうだ。 ぜったい彼は太りすぎだと思う。動くたびに呼吸をぜいぜいいわせている。 自分も人のこと言えないけど……。 今日はクソ暑い夏にアツアツの味噌ラーメンをいただくことにした。 どんなに暑い夏でもアツアツのラーメンを食べたくなる日があるのです。 今日はその日なのだ。
「はい、おまちどうさん。味噌ラーメンに餃子ね!おにいちゃん仕事の方はどうお?」
「今日で全部完成です。後はチェックを済ませて出版社に送ってオシマイ。」
「そう、よかったねえ。おにいちゃんも大変だねえ。」
「そっちこそ腰の具合はどう?」
「痛くてかなわないよ。おまけに血圧は上がりっぱなしだし。たまんないよ。おにいちゃんも立派な体してるから気をつけた方がいいよ。」
「わははははははははは。(おじさんに言われたくない……)」
(ACT3へつづく)