さあて、今晩は何を作ろうかな?
大仕事を終えた自分にご褒美をあげよう。お祝いのご馳走だ。
サラダにはカニをあしらえよう。
ドレッシングはバルサミコとオリーブオイルのイタリアン風がいいな。
ハーブもちょっと欲しい。
メインはローマ風カツレツにトマトソースのコンビ。
付け合わせはフレンチフライと軽く塩ゆでしたブロッコリー。
スパゲッティは得意のペスカトーレ。
デザートは紅茶のパンナコッタにしよう。
ワインはたしかキャンティはあったはず。
いや、お祝いだからスパークリングに決まり。
ビールの備蓄もまだ大丈夫。
オリーブオイルは買わないといけないな。
今日の買い物への道のりは、メニューを考えるのに忙しかった。
考えに没頭しながら自転車をこいでいると、
赤信号に気づかず渡ってしまったり、
オバサンの買い物集団へつっこんだりして大変危険である。
良い子は決して真似をしないように。
我が家は夫婦共稼ぎである。
子供はまだいない。
家事は分担制。
料理に関しては、自分が引き受けている。
くみの機嫌がいいとき、ごくたまに作ってくれることがある。
最近になってようやっと翻訳業も軌道に乗り、仕事の受注も徐々に増えてきた。
おかげで生活もやっと安定してきた。
以前、くみに専業主婦してもいいよと言ったのだが、
仕事が楽しいし好きだということでまだ続けている。
ぼくが、翻訳家を目指して修行しているときは、
我が家の経済は妻の収入にオンブに抱っこだった。
そのときの負い目があって、未だに彼女には頭が上がらない。
くみはずうっと横浜市内を中心にチェーン展開しているスーパーで働いている。
彼女と知り合ったのは、ぼくがサラリーマンやっていた時代。
食料品売場でレジをやっていたくみに一目惚れしてしまったのだ。
土日のお休みにお店へ行って、彼女に会うのが最高の楽しみだった。
しだいに買い物よりも彼女の方が目的になっていった。
1日に2、3回行くのはアタリマエだった。
出会いから結婚までの紆余曲折、波瀾万丈を綴ったら長編を1本書けてしまう。
壮大なラブストーリーはこのお話とあまり関係ないので別の機会に譲ることにしよう。
こうして、くみのことを考えていたらR店へ久しぶりに行ってみたくなった。
R店はくみとの出会いの場所。
現在の彼女は、異動でR店とは別の店舗で働いている。
結婚と同時にこのお店には、自然と足が遠のいてしまった。
なにせR店への目的はくみだったので、目的を達成した今となってはあまり用事はない。
最近はもっぱらもっと家に近い別の店で買い物している。
最寄りのスーパーがあるのに、かつては、くみをたずねてわざわざ遠いR店へ通っていたというワケ。
久しぶりに見るR店の建物はちょっとボロっとなっていた。
とつぜん恋愛時代の甘酸っぱい想い出がよぎり、胸がキュンとなってしまった。
店内の様子は当時とあまり変わっていなかった。
品物のレイアウトがほんの少し変わっているようだ。
店員さんも当時とはすっかり入れ替わってしまったようで、知っている顔はなかった。
買い物を済ませ、レジでお金を払い、ビニール袋に品物を詰めていると、
突然、背が高くてきれいな女性店員がやってきた。
彼女はぼくに声を掛けてきた。
「あら??」
店員さんはびっくりした顔。
「はい?」
とぼく。
あれ?どこかでみたことあるよ。この女の人。うーん、思い出せない。
胸の名札を見てようやっとわかった。
「あれー?ナギサさん!?久しぶりだねえ。」
「奥さん元気?」
「ええ、おかげさまで」
ナギサはくみの2年後輩。
彼女が入社してしばらくはくみと同じR店にいた。
お店の仕事はくみから教わっていたらしい。
ナギサといえば、新入社員のころのイメージしか記憶になかった。
あのころの彼女は高校を卒業したばかりだったはず。
当時の彼女はショートヘアだったし、ビン底メガネをかけていた。
ガリ勉少女という感じで、かなりダサかった(ごめん)。
しかし、今ここにいる彼女は大人の色気をぷんぷん発散させている。
髪は肩まである。メガネはもうしていない。
まるで別人だ。
くりっとした目と笑ったときのえくぼがとても魅力的だ。
久しぶりに見たナギサは、日本人なのに歌手のバネッサ・ウイリアムズにそっくり。
スタイル抜群なので、プロのモデルとしても充分通用するに違いない。
お店の制服はむかしと何ら変わっていない。
胸元に緑のリボンのついた白い半袖ブラウス、薄緑のベスト、濃いグレーのスカート。
「ずいぶんご無沙汰だったわね。くみさんを手に入れたら、このお店にはもう用無しってわけね。」
「そ、そんなあ。あれ?ずうっとR店にいたの?」
「去年戻ってきたの。あれからずいぶんいろんな店を転々としたけどね。」
「へえ?」
「ここにまた戻ることになってとても楽しみだったのよ。また誰かと土日に会えるようになるかなあと思って。」
「そりゃどうも……」
「そしたら、ぜんぜんこないじゃない!」
「ごめんごめん。」
「あのねえ、もう時効だろうから言っちゃうけど、ワタシずうっとあなたのこと好きだったのよ。」
「ええっ!!」
「くみさんがあのお客さんと結婚するって話しきいたとき、一晩中泣いちゃった。」
「そうだったのお?なんでまた……(おろおろ)」
「よく来てたから、自然と顔覚えちゃったし。ここのお客って主婦とその疲れた亭主ばかり。若い男性は珍しかったからすごく目立ってた。」
「おかげで物価には詳しくなったけど。」
「よくワタシのレジに並んでたでしょ。すっかりワタシに気があるとばっかり思って。」
「そうだっけ?」
「くみさんが目的でワタシは単なるスケープゴートに過ぎなかったのね?」
「そんなことないよう。なんだあ、早くそう言ってくれれば君と結婚したのに。」
「よくいうわよ。最初っから、くみさんしか眼中なかったくせに。」
「バレタカ……スミマセン」
「くみさんを泣かすような真似したら、承知しないわよ。」
「はいはい」
「悔しいからお別れにキスして!」
ナギサは自分の唇を人差し指で指して目を閉じた。
「ええっ!」
突然の強烈な申し出を鵜呑みにしてうろたえてしまった。
「わはははあ。バカね!なに動揺してんのよ。冗談に決まってるでしょ。」
「びっくりしたあ。」
「じゃあ握手して。」
いたずらっぽい笑顔を浮かべて彼女は右手を差し出してきた。
完全にナギサのペースに支配されてしまった。
「じゃあ、元気でね。またちょくちょくくるよ。」
「お幸せにね。」
彼女の細い指をぎゅっと握ったとたん、いきなり稲妻のようなショックがビリっと全身に走った。
「うわあっ!」
彼女も同様のショックを受けたらしく、びくんと後方にのけぞった。
あわてて倒れそうになった彼女の体を支えた。
「だ、大丈夫?」
とぼく。
「嗚呼。どうしよう。」
ナギサは弱々しい声でつぶやいた。
「大変。今夜あなたのうちにとんでもないトラブルがやってくるわ。」
彼女の顔は真っ青、目はうつろ。かなり気分が悪そうだ。
「ち、ちょっと待って。いったいどうしちゃったの?」
「小さい頃から霊感というか予知能力があるの。いつもというわけじゃないけど。」
彼女は額の汗を拭った。
「人の体に触れたとき、感電したときのようなショックが走って、その人の未来が見えてしまうの。」
「スティーブン・キングのデッド・ゾーンみたいだね。」
緊迫した場面なのに間抜けなことをいってしまい後悔する。ナギサは意に介さず続けた。
「その人に悪いことが起きるときしかこうならないの。あなたが幸せそうな顔してたから、ぜったい大丈夫だと思って握手したのに。それが……」
彼女は今にも泣きそうだ。
「まあまあ、落ち着いて。予感がはずれることもあるんでしょう?」
「一度もないわ!」
ぴしゃりと否定した。彼女の目はウルウルだ。
どんなことが見えたの?」
「あなたの親しい人に怪我人がでるかも。女性が見えたわ。顔はわからなかったけどボロボロに泣いていた。
最悪の場合、誰かが亡くなるかもしれない。」
「これからどうしたらいい?」
「そうね。とにかく帰り道は用心して。今夜だけは戸締まりをしっかりしてね。」
「そんなんで、大丈夫?」
「ごめんなさい。何言っているのかしら。もう混乱しちゃってどうしていいかわからない。」
彼女の真剣な表情を見ていると、とてもウソには思えなかった。
もちろん彼女はウソをつくような子ではない。
というか、こんなウソをついて何の得があるのだろう。
真っ青な顔はいくらなんでも演技では無理だろう。
くみのことが心配になってきたので急いで家に帰ることにした。
(ACT5へつづく)
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