A Story of The Near Future
あやしい小説

ACT4

さあて、今晩は何を作ろうかな? 大仕事を終えた自分にご褒美をあげよう。お祝いのご馳走だ。 サラダにはカニをあしらえよう。 ドレッシングはバルサミコとオリーブオイルのイタリアン風がいいな。 ハーブもちょっと欲しい。 メインはローマ風カツレツにトマトソースのコンビ。 付け合わせはフレンチフライと軽く塩ゆでしたブロッコリー。 スパゲッティは得意のペスカトーレ。 デザートは紅茶のパンナコッタにしよう。 ワインはたしかキャンティはあったはず。 いや、お祝いだからスパークリングに決まり。 ビールの備蓄もまだ大丈夫。 オリーブオイルは買わないといけないな。
今日の買い物への道のりは、メニューを考えるのに忙しかった。 考えに没頭しながら自転車をこいでいると、 赤信号に気づかず渡ってしまったり、 オバサンの買い物集団へつっこんだりして大変危険である。 良い子は決して真似をしないように。
 我が家は夫婦共稼ぎである。 子供はまだいない。 家事は分担制。 料理に関しては、自分が引き受けている。 くみの機嫌がいいとき、ごくたまに作ってくれることがある。 最近になってようやっと翻訳業も軌道に乗り、仕事の受注も徐々に増えてきた。 おかげで生活もやっと安定してきた。 以前、くみに専業主婦してもいいよと言ったのだが、 仕事が楽しいし好きだということでまだ続けている。 ぼくが、翻訳家を目指して修行しているときは、 我が家の経済は妻の収入にオンブに抱っこだった。 そのときの負い目があって、未だに彼女には頭が上がらない。
くみくみ くみはずうっと横浜市内を中心にチェーン展開しているスーパーで働いている。 彼女と知り合ったのは、ぼくがサラリーマンやっていた時代。 食料品売場でレジをやっていたくみに一目惚れしてしまったのだ。 土日のお休みにお店へ行って、彼女に会うのが最高の楽しみだった。 しだいに買い物よりも彼女の方が目的になっていった。 1日に2、3回行くのはアタリマエだった。 出会いから結婚までの紆余曲折、波瀾万丈を綴ったら長編を1本書けてしまう。 壮大なラブストーリーはこのお話とあまり関係ないので別の機会に譲ることにしよう。
こうして、くみのことを考えていたらR店へ久しぶりに行ってみたくなった。 R店はくみとの出会いの場所。 現在の彼女は、異動でR店とは別の店舗で働いている。 結婚と同時にこのお店には、自然と足が遠のいてしまった。 なにせR店への目的はくみだったので、目的を達成した今となってはあまり用事はない。 最近はもっぱらもっと家に近い別の店で買い物している。 最寄りのスーパーがあるのに、かつては、くみをたずねてわざわざ遠いR店へ通っていたというワケ。 久しぶりに見るR店の建物はちょっとボロっとなっていた。 とつぜん恋愛時代の甘酸っぱい想い出がよぎり、胸がキュンとなってしまった。 店内の様子は当時とあまり変わっていなかった。 品物のレイアウトがほんの少し変わっているようだ。 店員さんも当時とはすっかり入れ替わってしまったようで、知っている顔はなかった。 買い物を済ませ、レジでお金を払い、ビニール袋に品物を詰めていると、 突然、背が高くてきれいな女性店員がやってきた。 彼女はぼくに声を掛けてきた。
「あら??」
店員さんはびっくりした顔。
「はい?」
とぼく。 あれ?どこかでみたことあるよ。この女の人。うーん、思い出せない。 胸の名札を見てようやっとわかった。
「あれー?ナギサさん!?久しぶりだねえ。」
「奥さん元気?」
「ええ、おかげさまで」
ナギサはくみの2年後輩。 彼女が入社してしばらくはくみと同じR店にいた。 お店の仕事はくみから教わっていたらしい。 ナギサといえば、新入社員のころのイメージしか記憶になかった。 あのころの彼女は高校を卒業したばかりだったはず。 当時の彼女はショートヘアだったし、ビン底メガネをかけていた。 ガリ勉少女という感じで、かなりダサかった(ごめん)。 しかし、今ここにいる彼女は大人の色気をぷんぷん発散させている。 髪は肩まである。メガネはもうしていない。 まるで別人だ。 くりっとした目と笑ったときのえくぼがとても魅力的だ。 久しぶりに見たナギサは、日本人なのに歌手のバネッサ・ウイリアムズにそっくり。 スタイル抜群なので、プロのモデルとしても充分通用するに違いない。 お店の制服はむかしと何ら変わっていない。 胸元に緑のリボンのついた白い半袖ブラウス、薄緑のベスト、濃いグレーのスカート。
「ずいぶんご無沙汰だったわね。くみさんを手に入れたら、このお店にはもう用無しってわけね。」
「そ、そんなあ。あれ?ずうっとR店にいたの?」
「去年戻ってきたの。あれからずいぶんいろんな店を転々としたけどね。」
「へえ?」
「ここにまた戻ることになってとても楽しみだったのよ。また誰かと土日に会えるようになるかなあと思って。」
「そりゃどうも……」
「そしたら、ぜんぜんこないじゃない!」
「ごめんごめん。」
「あのねえ、もう時効だろうから言っちゃうけど、ワタシずうっとあなたのこと好きだったのよ。」
「ええっ!!」
「くみさんがあのお客さんと結婚するって話しきいたとき、一晩中泣いちゃった。」
「そうだったのお?なんでまた……(おろおろ)」
「よく来てたから、自然と顔覚えちゃったし。ここのお客って主婦とその疲れた亭主ばかり。若い男性は珍しかったからすごく目立ってた。」
「おかげで物価には詳しくなったけど。」
「よくワタシのレジに並んでたでしょ。すっかりワタシに気があるとばっかり思って。」
「そうだっけ?」
「くみさんが目的でワタシは単なるスケープゴートに過ぎなかったのね?」
「そんなことないよう。なんだあ、早くそう言ってくれれば君と結婚したのに。」
「よくいうわよ。最初っから、くみさんしか眼中なかったくせに。」
「バレタカ……スミマセン」
「くみさんを泣かすような真似したら、承知しないわよ。」
「はいはい」
「悔しいからお別れにキスして!」
ナギサは自分の唇を人差し指で指して目を閉じた。
「ええっ!」
突然の強烈な申し出を鵜呑みにしてうろたえてしまった。
「わはははあ。バカね!なに動揺してんのよ。冗談に決まってるでしょ。」
「びっくりしたあ。」
「じゃあ握手して。」
いたずらっぽい笑顔を浮かべて彼女は右手を差し出してきた。 完全にナギサのペースに支配されてしまった。
「じゃあ、元気でね。またちょくちょくくるよ。」
「お幸せにね。」
彼女の細い指をぎゅっと握ったとたん、いきなり稲妻のようなショックがビリっと全身に走った。
「うわあっ!」
彼女も同様のショックを受けたらしく、びくんと後方にのけぞった。
あわてて倒れそうになった彼女の体を支えた。
「だ、大丈夫?」
とぼく。
「嗚呼。どうしよう。」
ナギサは弱々しい声でつぶやいた。
「大変。今夜あなたのうちにとんでもないトラブルがやってくるわ。」
彼女の顔は真っ青、目はうつろ。かなり気分が悪そうだ。
「ち、ちょっと待って。いったいどうしちゃったの?」
「小さい頃から霊感というか予知能力があるの。いつもというわけじゃないけど。」
彼女は額の汗を拭った。 「人の体に触れたとき、感電したときのようなショックが走って、その人の未来が見えてしまうの。」
「スティーブン・キングのデッド・ゾーンみたいだね。」
緊迫した場面なのに間抜けなことをいってしまい後悔する。ナギサは意に介さず続けた。
「その人に悪いことが起きるときしかこうならないの。あなたが幸せそうな顔してたから、ぜったい大丈夫だと思って握手したのに。それが……」
彼女は今にも泣きそうだ。
「まあまあ、落ち着いて。予感がはずれることもあるんでしょう?」
「一度もないわ!」
ぴしゃりと否定した。彼女の目はウルウルだ。
どんなことが見えたの?」
「あなたの親しい人に怪我人がでるかも。女性が見えたわ。顔はわからなかったけどボロボロに泣いていた。 最悪の場合、誰かが亡くなるかもしれない。」
「これからどうしたらいい?」
「そうね。とにかく帰り道は用心して。今夜だけは戸締まりをしっかりしてね。」
「そんなんで、大丈夫?」
「ごめんなさい。何言っているのかしら。もう混乱しちゃってどうしていいかわからない。」
彼女の真剣な表情を見ていると、とてもウソには思えなかった。 もちろん彼女はウソをつくような子ではない。 というか、こんなウソをついて何の得があるのだろう。 真っ青な顔はいくらなんでも演技では無理だろう。 くみのことが心配になってきたので急いで家に帰ることにした。
(ACT5へつづく)